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中高生鮎友釣り選手権台湾選手バックストーリー#03 『大人の都合』

中高生鮎友釣り選手権選手権バックストーリー。

いよいよ最終回です。

前回の記事はこちら↓

k-labo.hatenablog.com

k-labo.hatenablog.com

 

最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

それでは最終回です。

 

突然の連絡

内気なアニメ少年『電気屋の店長』こと林くん。
トラウマを乗り越えたスポーツマンでもあり、みんなの相談役『老師』エディくん。

この2名で台湾選手の招待が決定し、日本に帰国した翌日のこと。僕に一本の連絡が入ってきました。

プロジェクト当初、選手の招待を依頼していた所からの連絡でした。「選手招待は無理だよ」と言っていたのもここです。

「選手として候補の学生が見つかりました。」

それは今回の候補生をアテンドしてくれた別の方が、SNSに候補生が決まったことを書き込んだあとのことです。

それが『どういう事情か』は、すぐに察することができました。

ひとまず話だけでも聞いてみようと思い、元々知人だった候補生の父親に連絡を取ることに。

「あなたの子供が選手権に出たいという話は本当ですか?」

父親は「そうです。」と答えました。

しかし色々な事情を知っているのか「あなたに迷惑をかけたくないから、無理しなくても大丈夫です。」そう言ってくれました。

候補生は高校3年生の女の子。今年を逃せば出場権はなくなります。

「今年は無理でも、私にはもう一人彼女の妹がいるから、来年以降出場できたら良いなと思っています。」

父親はそう気を利かせてくれましたが、僕はそう思いませんでした。


「それは妹さんの話で、今は彼女の話をしています。一度彼女と話をさせてください。」

 

こうして後日、リモート会議で面談をすることになりました。

複雑な事情のなかで

彼女の名前は『廖心妤』選手。愛称は心(しん)ちゃん。

心ちゃんは今どきの女子高生らしくオシャレに敏感で、とても気遣いの出来る良い子でした。そして気遣いが出来る察しの良い彼女は、今回の経緯もなんとなく理解しているようで、少し消極的でした。


僕は変わらず「やりたいか、やりたくないか。」という問いを、彼女に投げかけました。
彼女は「やってみたい。」そう答えてくれました。
しかし、今回はそれですんなりと話が進むものではありません。
この決定によって色々な『しがらみ』が生まれる事は明確でした。たとえ断ったとしても、何かしらの問題は浮上してくるはずです。すべてが終わったように見える現在ですが、おそらく水面下では色々な問題が現在進行形で続いているはず。


しかし、そんなくだらない事を若者の世界に持ち込みたくはない。僕は彼女に正直に話しました。


「たぶん心ちゃんは“大人の都合”ってのに気付いているよね。でも、そんな複雑な事情なんて気にしなくていい。問題や後始末はこっちに任せて、心ちゃんがやりたいことをやってほしい。」

 

そう伝えました。

この決定は、僕個人のエゴだったのかもしれません。大人の都合を隠しもせず、自分たちの立場やメンツのために、若者に気を遣わせている大人に対して憤りを感じたのは事実です。

だからこそ「乗ってやろうじゃないか」という気持ちになりました。

選んでも問題がある、選ばなくても問題がある。

それなら一歩踏み込んでみる。

こうして3人目の選手が決まり、8月を迎えることになりました。

 

当初選手1名+同伴者の予算しかなかった今回の台湾選手招待。大幅に予算を見直す必要がありました。調整のために奔走してくれた清水事務局長には感謝しかありません。

突きつけられる現実と涙

台湾選手3人の中で、選手権前日まで圧倒的な釣果を出していたのは心ちゃんでした。彼女の父は日本でもトーナメントで活躍するほど、台湾では名手として有名な方です。

その手ほどきを受けた彼女は、日本でのプラクティスでも圧倒的な釣果でした。間違いなく決勝戦に残る可能性が一番高かったのは心ちゃんです。

しかし、試合というのは色々なことが起こります。

あれだけ安定した釣果を出していた彼女が、予選敗退で終わることになります。関係者は驚きましたし、僕もまさかのことでした。

あとから本人から聞いた話ですが、試合がはじまってから手の震えが止まらなかったそうです。


予選の検量が終わり、選手の控えテントで大粒の涙を流す彼女がそこにはありました。

彼女の涙を見た瞬間は戸惑いがありました。

正直、彼女が鮎釣りにそこまで真剣だとは思っていませんでした。やる気はあったとしても、「負けてもいいかな。日本に来れるし。」程度の心づもりだと思っていました。

人目をはばかることなく涙を流すほど真剣だったのだと気付かされた僕は、思わずもらい泣きをしてしまいました。

彼女は高校3年生で、もう二度と選手権に出ることはありません。

真剣勝負とは、スポーツとはかくも残酷です。だからこそ心を動かされるのも事実です。

こうして彼女の最初で最後の選手権が終わりました。

 

複雑な世界なんてクソ喰らえ

最終日、彼女もあらめて今回の件について話をしてくれました。


「君は大人の複雑な世界なんて気にしなくていい。自分のやりたいことをやってほしい。その言葉で勇気がでました。本当にありがとうございました。」


選手権の直前にも同じことを彼女に僕が言ったそうですが、それは記憶にありませんでした。

 

僕たち大人は歳を取るにつれ、色々な『モノの仕組み』を学んでいきます。

社会の仕組み、人付き合いの仕組み、お金の仕組み、立場の仕組み。

良いモノもあれば、中には到底納得のいかないモノもあります。

人はそれを「そういうモノだ」と言って思考停止しまいがちですが、

 

本当にそれって「そういうモノ」なんでしょうか?

 

僕はこれまで周りから言われていた「そういうモノ」をたくさん覆してきました。

この選手権でもそうです。

「子供の大会なんだから、もっとショボくていいんじゃないの。そういうモノじゃん普通。」

「釣りの大会で興味のない人を呼び込むなんて必要あるの?」

そんな事をうんざりするほど言われてきました。

『空気を読み、波風を立てず、スマートに事を運ぶのが大人』なんでしょうか。それってただの『傷つかないための逃げ』だと思うんですよね。

人生はもっと興味本位で動いても良いんじゃないでしょうか。

人生はもっと行き当たりばったりで良いんじゃないでしょうか。

それが『自分が決めたこと』なら、絶対に後悔しないはずです。

僕は学生時代から、自分のやりたい事を純粋に追求してきました。時には同級生から嘲笑の対象にもなっていました。高校時代は「健くんがいるから成績最下位にはならないから安心」と言われたこともありました。でも、僕はまったく気になりませんでしたし、今でも間違った選択をしなかった自信があります。

 

僕は『自分で決めた回数の多さが、人生の充実度に直結する』と思っています。

 

自分が死んだ時、今の生き方で満足して死ねるかどうか。

もう一度みなさんにも問いたい。

 

 

今のアナタは「そういうモノ」ですか?

 

かつてのアナタが夢見た未来は「そういうモノ」でしたか?

 

3人の絆

中部国際空港に到着した初日。
どこかよそよそしかった3人は、最終日の買い物で冗談を言い合うほどの仲になっていました。

名古屋で自由時間を与えたあと、ドン・キホーテの買い物袋を両手いっぱいに持ってきた3人の嬉しそうな顔を、今でも鮮明に思い出すことができます。

選手権前日や当日は、運営の学生と一緒になって準備や片付けを手伝ってくれました。あれだけの試合をした後で満身創痍のはずなのに、嫌な顔ひとつせずに夜遅くまでいてくれました。本当にありがとう。

続く、紡ぐ物語

中高生鮎鮎友釣り選手権には、それぞれのストーリーがあります。

それは台湾選手だけでなく、出場した選手すべてにストーリーがありました。


念願の優勝を果たした山田選手。連覇を逃した河合選手。予選で圧倒的だった初出場の近藤選手。怪我をしてでも表彰台に立った川瀬選手。
過去に表彰台経験があり、今年は参加できなかった山田選手のライバルでもある森選手。来年に向けて、すでにストーリーは始まっています。

そしてこの選手権に出場したすべての選手には、これからも続く物語があるはずです。


実行委員の学生たちには、それ以上のストーリーがあります。

発起人の想いや、そのバトンを受け取った後輩。

ストーリーがあるのが、ジャパニーズスポーツであると僕は考えています。

いずれストーリーすべてを背負って世間と戦える、『本物のアスリート』が鮎友釣りの世界に誕生するまで、もう少しだけ僕が表に立って表現活動を頑張ろうと思います。

 

中高生鮎鮎友釣り選手権.8


スポンサード、協賛、協力、賛助をいただいた企業、団体、個人の皆さま。
会場にご来場いただいた皆さま、生中継をご覧いただいた皆さま。
出場してくれた選手の皆さま。台湾選手の3人。
そして何よりこのイベントを作ってくれた実行委員の学生とOBと事務局長。
本当に、本当にありがとうございました。

 

2年後のワールドカップに向けて、そして更にその夢の先へ。
今後とも郡上鮎の会をよろしくお願いいたします。

 

林くん、エディ君、心ちゃん。本当にありがとう。

また近いうちに会いましょう!

 

中高生鮎友釣り選手権台湾選手バックストーリー#02 『トラウマを乗り越えて』

偶然の出逢いから1人目の選手が決まった、今年の中高生鮎鮎友釣り選手権。

 

前回記事はこちら↓

k-labo.hatenablog.com

 

勢いで林くんを選手に決めてしまったものの、当初面談を予定していた学生をどうするか。選手の枠は1枠。


「少し話してみて、よっぽど良い学生じゃなければ、適当な理由で断ろう。」


そんな『くだらない大人論』が頭をよぎった僕の前に現れた学生。それが2人目の選手でした。

さわやかスポーツ少年エディ君

彼の名前は『何奕德』選手。愛称はエディ君。
ホテルのロビーではじめて見た彼の印象は『爽やかな青年』でした。
スポーツマンとして多方面で活躍している彼。釣りも大好きで、休日はよく釣りを楽しむとのこと。


この日は彼のご両親も同席しており、郡上鮎の会の説明なども含めて、選手権の概要を説明しました。
真剣に話を聞く姿勢や、丁寧な話し方のエディ君は、多くを語らずとも心の清い若者だとわかりました。


また、彼のお父さんが非常に面白い方で、何か気になることがあると「健さん!」と手を挙げて質問をしてくださいました。
僕よりも年は上で、身なりをみても明らかに『エリートビジネスマン』の雰囲気を醸し出しているお父さんですが、こうして僕のような人間からも何かを得ようとする貪欲さや好奇心、心の余裕があるから、それだけの地位にいらっしゃるのだと思います。自分も見習いたい姿勢ですし、忘れてはいけないことだと感じました。


「息子が鮎釣りをやるに際して、知り合いに道具について聞いたところ、最低でも20万の竿じゃないと釣りにならないと聞きました。本当ですか?」

 

そうお父さんが質問をしたので、僕はライトスタイルのことや、フリースタイル鮎、1.8mの竿の話などをしました。

お父さんは「もう何がなんだか分からない…」と呆然。少し刺激的すぎたかもしれません。

そんな談笑を交えながら、日本や台湾での釣り文化などについても交流を深めました。

 

困りました。非常に困りました。


こんなに素敵な若者とご家族だとは、想像していませんでした。さて、どうしたものか。
そんな時、お父さんから思ってもみなかった言葉が出てきました。

大きなトラウマ

「実はうちの息子は、魚釣りが大好きではあるんですが、生きた魚を触ることが出来ないんです。」
本人も「むかし、魚についてトラウマができてしまって以来、死んだ魚もちゃんと触ることができません。」とのこと。

「鮎の友釣りは、生きた鮎をおとりにして釣るんだけど、理解できてる?」

「えっと…うーん、そうなんですね」

困惑するエディ君。

その時の僕は、彼を選手として招待した時のことを考えていました。

もし、おとり鮎が触れなかったらどうする。

もし、それで彼が土壇場でキャンセルをしたらどうする。

もし、もし、もし。色々なもしが出てきました。

しかしふと、1人目の林くんと彼が並んだ時の映像が浮かんできました。

とても『面白そう』でした。この2人が出逢ったら、どんな風になるんだろう。

どんなやり取りをするだろう。興味が湧きました。純粋に見てみたい。

ひとしきり話しが終わり、いよいよ本題の選手としてどうするか。僕は彼にこう話を切り出しました。

 

「エディ君、“やりたいか、やりたくないか”それだけ教えてほしい。魚のトラウマはこの際あとにして、まずは純粋に選んでほしい。」

 

彼は「やってみたい」と答えました。

 

「じゃあ、やろうか。」

 


こうして2人目の選手が決定となりました。

会食を終えてホテルに戻ると、彼のお父さんからこんなメッセージが届きました。

「今日はありがとうございました。エディは家に帰ったあと、何もいわずに部屋に入っていきました。彼の中で、何かが変わろうとしているのを感じます。今回のイベントが彼にとって良い経験になることを願っています。本当にありがとうございます。」


こうしてエディ君は、未経験の鮎釣りだけでなく、自らのトラウマを乗り越えるという2つの壁に立ち向かうことになります。

 

しかしその壁は、当初僕たちが想定したものよりも遥かに大きな壁だったことを、この時の僕はもちろん、本人も知る由はありませんでした。

超えられない壁と重圧

7月。エディ君に鮎釣りを教えるために、台湾を訪れました。そこには林くんも参加しました。いよいよ本番に向けて、それぞれの戦いがはじまります。

開始早々に、エディ君が自らおとり鮎にタッチしました。その場に居合わせた我々全員が拍手喝采。早々にトラウマを克服しかたにみえました。さすがはスポーツマン。僕はすっかり安心していました。

練習では基礎的な事を教え、日本へ帰国することになりました。

その後も台湾で何度か練習をしていたエディ君。

コーチングを担当していた張さんに、「彼は大丈夫ですか?」と聞いたところ、「まあまあです。」という回答。ひとまず釣りにはなっているのだと、安心していました。


8月3日。いよいよ日本に到着して、現地でルール説明も兼ねたプラクティスを開始。

ここで事件が起きました。

釣りのポイントに到着してから、エディ君が一向に釣りをはじめません。

10分、20分。他の2人は練習を始めています。開始の合図が聞こえなかったか?

心配になって彼の近くへ。そこには、タモに入ったおとり鮎を触わることができず、呆然とする彼の姿がありました。

 

実はこの日まで、彼が仕掛けを鮎に正しく装着できたのは『2回』だということが判明。その2回は、彼のメンタルが絶好調だった時にできたものでした。

何度も鮎に触れてチャレンジするエディ君ですが、鮎が動く度にトラウマが蘇り、手を離してしまいます。次第に口数が少なり、彼の目からは大粒の涙が絶え間なく溢れていました。


僕は曲がりなりにも約9年近く学生と関わらせてもらい、その中にはいろいろな悩みを抱えた学生もいました。学生だけでなく、多くの人に悩みを相談される機会もあり、感謝されることも少なくありませんでした。

しかし、トラウマを抱えた人をどうすればよいのか、僕にはまったく分かりませんでした。ネットで調べても「確立した対処法はない。ゆっくりと治癒する時間が必要です。」くらいしか出てこない。まして相手は言葉の通じない外国人。しかし、何もしなければ3日後の選手権で彼がどうなるかは、想像する必要はありません。

 

今の自分に何かできることは。

今の自分に何ができるのか。

 

覚悟に応える

僕はまず自宅に急いで帰り、家の道具をあさりました。

『魚を触る』ということを回避できればなんとかなるのか。それとも、感触がトラウマを想起させるのか。正解がわかりません。しかし、何もしなければ何も変えられない。

胴締めハナカン仕掛け、軍手、ビニール袋、フィッシュプライヤー、果てはフィッシュグリップ。とにかく可能性のあるものはすべて出しました。

 

現場に戻りエディ君を川から上げて、まずは落ち着いて話をすることにしました。

「いま家に帰って、色々と道具を持ってきた。これを午後試してみよう。やれることは全部やってみよう。」

彼は涙を流しながら「うん、うん」と頷いていました。

しかし、結局のところ道具はキッカケであって、最後はメンタルの問題だと思っていました。

彼に「今、何を考えてる?」と問いました。

 

「このまま魚が触れずに当日を迎えて、何も出来ずに終わってしまったら、僕を呼んでくれた健さんに申し訳なくて、どんどん焦ってしまって、頭の中がグチャグチャになって、何も考えられなくなってきて…」

 

エディ君は泣きながらそう話しました。

僕は彼にこう語りかけました。

 

「エディ君、もし君がこのまま鮎を触れずに当日を迎えることになっても、俺はエディくんの事を絶対に責めない。呼んだのは俺なんだから、そんなのは全然気にしなくていい。もしココで出来なくても、何年かかっても一緒に出来るまでやろう。失敗したっていいじゃないか。出来るまでやればいいんだよ。」

 

彼がこの選手権の出場を決心するまでには、たくさんの『覚悟』があったはずです。

未経験の釣り、言葉の通じない海外での真剣勝負。何より自身のトラウマとの戦い。

どれほどの覚悟をもって、彼はこの場所にいるのだろう。彼と同じ年齢だった時、自分に彼と同じことができただろうか。

若者がこれほどの覚悟をしているのに、自分が覚悟をしないでどうするんだと。だから僕も彼に負けないくらいの覚悟をもって、彼と一緒にいるべきだと直感で思った結果、自然と言葉が出てきました。

そんな僕の話を聞きながら、彼の顔つきが少しずつ変わっていくのがわかりました。

そして午後。彼の左手に軍手を装着し、最後の挑戦へ。

はじめは戸惑いながらも、徐々に鮎への抵抗感がなくなっていくエディ君。

そしてついに、一人で仕掛けを装着することができました。完全にトラウマを克服した瞬間でした。僕は思わず涙が出そうになりましたが、平静を装っていました。

のちほど僕の父が「もっとカッコいいのをつけなさい。」と気を利かせて、グローブを持ってきてくれました。

その日、彼は初めて自分の力で鮎を釣り上げました。初めての鮎はとても小さな鮎でしたが、彼にとっても、そして僕にとっても、とてつもなく大きな鮎でした。

グローブの意味

そして選手権当日。

3日前に大粒の涙を流していた少年は、見違えるような自信に満ちた姿でそこにいました。

大会の実況中継がはじまり、大型LEDビジョンに彼の姿が映し出された時、僕は涙が出そうになりました。


あの左手のグローブに、どれだけのストーリーと覚悟があったのか。あの時それを知っていた人は、会場にも視聴者の中にもいません。

結果は残念でしたが、試合の結果よりも大切なものを手に入れたはずです。

明日『納得』して死ねますか?

林くん同様に最終日の夜、エディ君はこう話してくれました。

「あの時、僕が鮎を触れたのはグローブのおかげでもあるけど、何よりも健さん「この大会で出来なくてもいい。出来なくても大丈夫だから。できるまでやろう。」という言葉が支えになって、鮎を触る勇気が湧いてきました。初めて会った時も「やるか、やらないか」というシンプルな言葉が、僕の背中を後押ししてくれました。本当にありがとうございました。」

 

歳を重ねるにつれて、色々なしがらみや立場、肩書、建前、あるいは忖度。やらない理由はどんどん増えていきます。

「1人目が決まったから」「予算があるから」「魚が触れないから」
今回の件だって、やらない理由は無限に用意することができます。

しかし、それがどれだけ自分の未来と可能性、まわりの未来と可能性を奪っているのか、人は分かっているようで、まるで分かっていません。いかにもな理由を並べ立て、自分を失敗から遠ざけて一時の安寧に身を投じる。そんな大人が多いんじゃないでしょうか。かつての自分もそうでした。

今だから言えることですが、僕はそれで自分の人生を、3度台無しにしています。自分の中ではある意味で『3回死んだ』と思っています。とてつもない後悔です。きっと、死ぬまで消えることはありません。それはみなさんにも、いずれ必ず訪れる瞬間です。それが本当に死ぬ間際なのか、それとも僕と同じように人生の途中なのか。それはわかりません。

僕はもう二度と可能な限り自分を裏切ったり、見殺しにしたくありません。自分が死ぬまでに、どこまでこの後悔を薄めることができるのか。それが僕の人生の課題なのかもしれません。


僕の覚悟が誰かの力になってそれがずっと続いていけば、僕がこれから生きていく、そして死んだときに残せる証になるんじゃないかと思っています。

昨今、僕は『失敗できない若者』を多く見てきました。あまりに失敗を恐れ、上辺だけの美辞麗句を並べ立てるテクニックが上達しています。それは若者だけでなく、私たち先人たちにも言えることです。

私たちがこれからを生きる若者に伝えることは、小手先のテクニックではなく、心の部分だと思っています。

 

電気屋の店長』の通り名を冠した林くん同様に、エディ君にも通り名ができました。

 

エディ君はプラクティスの時も選手権の当日も、電話で誰かと長電話をしていることがありました。不思議に思っていた僕たち。思いもよらない事実が明らかとなりました。

実は彼、同級生などの相談を請け負っている相談役で、かなり多くの相談を受け持っているそうで、相談を受けるには予約が必要なほど。内容は恋愛相談や人生相談など、多岐にわたる話を聞いているそうです。

 

そして彼についた称号は『老師(台湾で先生の意味)』

 

そんな老師に予約なしで数日間一緒にいられた僕たちは、とても贅沢な時間だったに違いありませんね。

最終回の#03は『大人の都合』です。

中高生鮎友釣り選手権台湾選手バックストーリー#01 『偶然の出逢い』

中高生鮎鮎友釣り選手権.8
開催から一ヶ月が経過しました。
昨年以上の規模で行われた今年の選手権は、1,500名の来場者(会場配布のうちわから算出)と、郡上ケーブルテレビさんのご協力によって、盛大に開催することができました。
スポンサード、協賛をいただいた皆さま、ご協力いただいた各種団体さま、企業さま、ボランティアスタッフの皆さま。
そして何より、ご来場いただいた皆さま。
皆さまのおかげで、こうして今年も開催することができました。本当にありがとうございました。

YouTubeに当日のアーカイブがありますので、お時間のあるときにぜひご覧ください。

www.youtube.com

色々なことがあった今年の選手権で、僕個人の思い入れが特に大きかったのは、やはり台湾人選手の招待です。
当初、関係者からは『ほぼ不可能』といわれていた今回の招待。最終的に3名の選手が日本で戦うこととなりました。
実はそれぞれの選手に、それぞれのストーリーがありました。

あの日あの時、それぞれにどんな想いがあったのか。何が起こっていたのか。

 

そんな3名のバックストーリーについて、これからご紹介していこうと思います。

 

 

偶然の出会い

最初の選手は『林立恆』選手。愛称は林くん。



彼との出逢いは、まさに偶然でした。


選手権開催の2ヶ月前、台湾の関係者から「選手として候補が2名見つかりそうです」との連絡がありました。
当初はこの2名のどちらか1名を選手として選考し、選手権へ招待する予定でした。
実はこの時点で、林くんは候補ですらありませんでした。名前すら知りませんでした。
その日は候補生との面談前に、イーラン県にある人文中学校という学校を訪問することになっており、そこで郡上鮎の会の説明会をすることになっていました。

人文中学校は、『学生のやりたいことを伸ばす』ことを校訓としています。郡上鮎の会に近いコンセプトの学校です。台湾でも特殊な学校だそうです。
そんな特殊が学校に、なぜお子さんを入学させたのかが気になり、説明会で保護者に質問をしました。


「自身が学歴社会で大変な思いをしたので、子供にはそうさせたくない。」
「これからの時代は、教えられた事を記憶するよりも、自分で考える力が必要だから。」


さまざまな理由で入学させており、そのどれもが真っ当な理由でした。
その保護者の中に、「息子は勉強が嫌いで前の学校を不登校になり、自由な校則の人文中学校に転校することにした。今は少しずつ登校するようになり、週に2度登校できるようになった。」という保護者がいました。
そして続けて「実はその息子は、釣りが大好きなんです。」そう話しました。
僕はそれが妙に気になり、「今日息子さんは学校にいますか?」と尋ねると、「たまたまいます。」とのこと。
早速彼を校長室に呼びました。

現れた子は

しばらくして、一人の男の子が校長室にやってきました。第一印象は「内気な子」でした。彼が林くんでした。
緊張した様子で椅子に座り、自己紹介を軽く済ませてから、僕は彼にこう質問しました。
「釣り好き?」
「はい、大好きです。」
「日本は好き?」
「とても大好きです。」
「日本の何が好き?」
「アニメが好きです。」
「どんなアニメ?」
「呪術廻戦が好きです。」

「じゃあ、日本に来る?」


その瞬間、職員室にいた校長や保護者全員が「え!?」と反応しました。
当然林くんも驚いた様子。
しばらくして、「とても嬉しいですが、突然のことなので一度考えてからの返事でもいいですか?」と、彼の母親がそう話しました。
しかし僕は「今、ココで決めよう。後で考えても同じだから。」そう林くんに話しました。
つづけて「今きっと君の頭の中は、期待よりも不安の方が遥かに大きいと思う。こんな事を急に言われて戸惑うのもわかる。誰だってそう。だから質問を変えるね。『やりたいか、やりたくないか。』コレで決めていい。あとは全部責任を持つから。」
彼は少し考えたあと、「やります。」と答えました。
「じゃあ、やろうか。」そして握手をしました。
こうして想定外の出逢いから、一人目の選手が決定となりました。

やってみなきゃわからない

その日の帰り道、人文中学校の担任から連絡がありました。

「林くんはまだ人文中学校に来て間もなく、私も彼の性格をまだ理解できていません。感情の波もあると思います。日本に行ってから健さんに迷惑をかけないか心配です。」という話をされました。
そこで僕はこう答えました。
「波があってムラがある。良いじゃないですか、それが若さです。何が起こるかわからないから若者は楽しい。迷惑だってたくさんかければいいし、失敗したらそれでいい。それも含めて全部責任を取りますから、安心して預けてください。」そう話しました。

期せずして最初の選手として決まった林くん。

ラクティスから積極的に学ぼうとする姿勢や、できなくても諦めずに何度でもトライする勇気と根性。たった一ヶ月の間に、見違えるような顔つきになってきました。

そして日本での活躍はご存知のように、、選手権当日は決勝戦に出場するまでに成長しました。

YouTube Liveでは「台湾加油!(台湾がんばれ!)」というコメントで溢れていました。

まさかあの時、たまたま出逢った少年がこんな舞台に立つことなど、誰が予想したでしょうか。

なにより、出会った時あれだけ頼りなかった彼が、自ら率先して行動をするようになり、積極的に運営の実行委員と関わろうとする姿。心の成長に驚かされました。

最終日の告白

最終日の夕食後、あらためて出逢った時からのことを話してくれました。

「僕がはじめて健さんに出逢った時、健さんは交換条件など一切なく、『やるか、やらないか』というシンプルな話だけをしてくれた。それが僕にとってもの凄く衝撃的だったし、何も提示せず僕を誘ってくれたことに勇気が出ました。自分が何かをする時に、リスクを考えるのではなく、まず挑戦してみることの大切さを学びました。そして、人に感謝することの大切さを学びました。本当にありがとうございました。」

そう僕に感謝の言葉を述べてくれました。
郡上鮎の会が掲げる中高生鮎鮎友釣り選手権の目的は、鮎釣りを通じて選手が輝ける舞台を作ること。
そこにもう一つ、僕個人が願うこと『心の成長』があります。
それは今回の林くんだけではなく、実行委員の学生にもそうあってほしいと思っています。
実行委員の顔つきが、その日の朝と夕方でまったく違う顔つきになっている。僕はそれを毎年目撃することが密かな楽しみです。


毎年この日を迎えるために、たくさんの壁があります。規模が大きくなっていくにつれて、それはどんどん大きくなっていると感じます。
しかし、だからこそ挑戦しがいがあると思っていますし、僕が挑戦しつづける姿が、若者たちにとって何かプラスになってくれたら、それだけで十分です。

ちなみに最終日に観光を兼ねて名古屋に連れていった時のこと。
家電量販店で目を輝かせて商品を物色し、電化製品について異常に詳しいことが判明。
メンバーから電気屋の店長』という称号を授かっていました。

近いうちに人文中学校へは再訪する予定なので、また大きくなった彼と会える日を楽しみにしています。

 

#02は『トラウマを乗り越えて』です。

【超初心者向け#02】鮎ってどうやって釣るの?

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前回『鮎とはそもそも何なのだ』というテーマで、

世界一噛み砕いて(自称)書いてみました。

 

要するに、

『日本人とズッ友の魚』という、ソウルメイトならぬソウルフィッシュなワケです。

 

ではココからが本題。

ズッ友の鮎を、どうやって釣り上げるのか。

ココでは主に『鮎友釣り』について書いていきます。

『友釣りにハマると仕事も何もかも忘れてしまう』と言われるほど、鮎友釣りは人を魅了し続け、今年も何名かの犠牲(イイ意味で)が出ています。

そんな魔性の魚釣りを、

コチラも世界一噛み砕いてお伝えします。

鮎友釣りの釣れる仕組み

鮎友釣り(あゆともづり)と読みます。

現代の鮎釣りと言うと、大体がこの鮎友釣りを指した言葉になります。

そして『友』と書くのには、深いワケがあります。

『主食』

小さい頃はプランクトンを食べ、稀に水生昆虫も捕食しますが、

成長とともに藍藻や珪藻=いわゆるコケを主食とするようになります。

このコケは石に付着しており、このコケを主食として鮎は成長します。

ちなみに釣り人の間では『アカ』と呼ぶこともあります。

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川遊びをされた事がある方でしたら、

水中の石に、何かで『引っ掻いた』ような跡を目にした事があるのではないでしょうか?

実はそれ、鮎がコケをこそげ取った跡なのです。

こんな感じの跡です。

コレを『食み跡(はみあと)』と呼び、釣り人はこの石跡を見て、その河川の魚の量、性質などを推測します。

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戦わなければ生き残れない〜『習性』〜

皆さんも子供の頃、こんな経験は無かったでしょうか。

お母さんから好物のお菓子を与えられ、至福の時間を過ごしている時。

突然背後から気配を感じると、そこには兄弟が。

「それ、俺にも食べさせろよ」

「いやだ」

「いいからよこせよ!」

「いやだ!」

※兄弟がいなかった方は、お友達や先輩を代用してご想像ください。

 

鮎も同じなのです。

自身が手に入れた美味しいコケの生えている石を、誰にも取られまいと『独占』する為に『縄張りを作る』のです。

そこに別の鮎がコケを狙って侵入すると…

我々人間の様な壮絶な生存競争が始まる。というワケです。

我々はせいぜいお菓子程度でしたが、鮎にとっては生き死にがかかった大事な食料。

どれだけ必死かは、想像に難くないでしょう。

そして人間はその『縄張り意識』という習性を利用して、とんでもない方法で鮎を釣る事にしたのです…。

 目には目を。鮎には鮎を。

むかしむかし…とある人間はこう思ったのでしょう。

「アイツら縄張りで喧嘩してるから、そこに自分で用意した鮎侵入させたらワンチャン釣れるんじゃね…?」

そのクレイジーな先人(褒め言葉)によって開発された釣法こそが、

『鮎友釣り』なのです。

色々な試行錯誤がなされた結果、現代の鮎友釣りはこんな感じの仕掛けを、鮎の体に取り付ける事になりました。

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多くの場合、まず始めに前回のブログでも紹介した『養殖鮎』を手に入れ、

その養殖鮎にこの仕掛をセットします。

もちろん、生きた状態ですよ。スーパーで買った食用の死んだ鮎はダメです。

この仕掛をセットした鮎を『おとり鮎』と呼びます。何のひねりもないどストレートな名称です。

そしてこの鮎を、縄張り意識の強い鮎のいる場所へ送り込むと…

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そうです。当然ながら生存のための食料を奪われまいと、怒り心頭で追い回します。

鮎の攻撃方法は体当たり。ぶちかまし

当然、おとり鮎は逃げます。

察しの良い方はもう分かる事でしょう。

先程セットした仕掛けの針に、鮎の体が『引っ掛かる』のです。

ワケも分からず逃げ惑うおとり鮎に、怒り心頭の鮎をぶちかましさせて、針にかける。

これが鮎の友釣りの原理です。

凄くないですか?

 

でもちょっと待って下さい。

では『鮎喧嘩釣り』ではないのか?

何故『友』なのか?

それには諸説ありますが、

おとり鮎を使って鮎をおびき寄せ、引っ掛けるための『友達』という意味でつけられた。

との事です。

要するに『お前ら仲良くしろよ!(でも喧嘩してね)』という、先人のエゲつない発想力から出来た名称、釣法だったのです。

 

私が郡上の町中で釣りをしていると、

「すごーい魚一匹釣れてるー!!」と喜んでくださる観光客の方がいますが、

実はおとり鮎を戻しているだけなのです。なんだかとっても恥ずかしくなります。

そして野生の鮎がかかると、

「うわあ~二匹同時に釣れた~~!!」と大歓声が起こります。

 

全ての国民にこの誤解が解けるまで、鮎釣りの普及活動を続けようと決心しております。

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今度は釣った鮎を…

激しい戦いの後は、ある種の友情が芽生える。

映画やアニメ、現実世界でもよくある事ですよね。

『昨日の敵は今日の友』というヤツです。

しかし鮎の世界では、そんな余韻が残る事なく次の段階へ進みます。

なんと今度は、

先程釣り上げた鮎に、同様の仕掛けをセットし、川に送り込むのです。

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そして釣り上げた鮎をまたおとりにし…そして更に釣り上げた鮎をおとりにし…釣り上げた鮎を…

という感じで、全員漏らさずおとりにされるワケです。

このサイクルから鮎釣りは『循環の釣り』と呼ばれています。

 

ちなみに、

『生きた魚を利用して、縄張りに侵入させて針に掛ける』

という釣法は、世界でも鮎友釣りだけなんです。

コレって、地味に凄い事なんですよ。

やはり先人は相当なクレイジーに違いありませんね(大褒め)。

私、弱い人には興味ないの

『おとりを侵入させて、喧嘩させる』のが鮎友釣り。

では、どんな鮎でも侵入させれば釣る事が出来るのかというと…

答えは『NO』です。

実はおとり鮎に適した鮎というのがあります。

  1. 元気がある
  2. その川の平均サイズより少し小さい 

皆さん、以下の二人どちらかと必ず戦わなければならない状況で、どちらを選びますか?

  1. 身長2m体重100kgの大男
  2. 身長150cm体重50kgの小柄な男

鮎も同じなんです。

自分よりも小さな鮎には、めっぽう喧嘩っ早いんです。

「コイツには勝てない」と思われると、喧嘩を売る事なく逃げてしまいます。

元気のない鮎も「コイツは縄張りを犯すほどの驚異ではない」と判断され、喧嘩をする事がなくなります。

だから鮎は『ちょっと小さめで元気な鮎』が良いとされています。

 

相手に合わせて、体力のある鮎を入れ替えて送り込む。

中学生の頃に寝食を忘れプレイした『ポケットモンスター』を思い出します。

というかポケットモンスターそのまんまです。

※ちなみに私は赤バージョンを買いました。

 

…なんだか鮎に親近感が湧いてきませんか?

その他の釣法

鮎の友釣り以外では鮎は釣れないのかというと、実はそうではありません。

他にもいろいろと方法があり、

  • 竿、おもり、針をつけて竿を引き回す『ころがし釣り』
  • ころがし釣りと似た仕掛けで、竿をしゃくる『しゃくり釣り』
  • 毛鉤などを使う『どぶ釣り』
  • しらすやふぐの皮を使った『餌釣り』
  • おとり鮎に見立てたルアーを使った『鮎ルアー』
  • 網漁(数種類あり)
  • 鵜飼(『う』という鳥を使った漁)

有名どころでは、こんな感じでしょうか。

一つの魚を採るために、これだけの方法が存在します。

鮎がいかに日本人にとって親しまれてきたのかがわかりますね。

 

一つ注意点として、

どの釣法にも言えることですが、禁漁期間や河川によっては禁止している釣法もあるので、ご自分が釣りをする河川を管理している『漁業協同組合』のHPなどで確認をしましょう。

基本的に管理された河川では『遊漁券(ゆうぎょけん)』という許可証が必要になります。

郡上では、コンビニなどでも販売されています。

他のレジャー同様に、一日券や年間パスポートが一般的です。

釣りをされる場合は、必ず携行しましょう。

 

現場では「知らなかった」が通らない可能性もあり、

場合によっては軽度の罰則が課せられる事もあります。

また、その河川のルールの基釣りをされている、他の釣り人にとっても困る事なので、よく確認しましょうね。

鮎友釣りをススメる理由。

いかがでしたでしょうか?

『鮎』と一言にいっても、これだけの釣法が存在します。

その中で鮎友釣りをオススメする理由は、なんといっても『比較的簡単なこと』です。

しゃくり釣りやころがし釣りは、ある程度の技術を要します。

しかし、鮎友釣りは『おとり鮎が勝手にポイントに行ってくれる』というメリットがあります。

最初から二桁釣果は望めませんが、

経験者と同伴であれば、はじめは経験者に仕掛けを取り付けてもらい、オートマチックでも楽しめるはずです。

そこから次は自分で仕掛けを取り付けできるようになり、自分一人の力で鮎を釣り上げる感動。

次は釣果を伸ばす為に、あれやこれやと思いを巡らす。

 

鮎友釣りは、

  1. 「明日どこで釣ろうかな」「どの仕掛けで釣ろうかな」など、仲間がいればそれを仲間と語らう『釣る前の楽しさ』
  2. 針に鮎がかかった時の、稲妻が走ったような感覚『釣っている時の楽しさ』
  3. 美味しい鮎を食べる『釣った後の楽しさ』

この3つが揃った、とても素敵な趣味だからです。

はじめは難しく敷居が高そうに見えますが、その分楽しさも段違いです。

実際、私も20代中盤から鮎釣りをはじめ、今ではどっぷりです。

 

今年の夏は、鮎友釣りをはじめてみませんか?

【超初心者向け#01】そもそも鮎って何?

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さて、早速ですが第一弾の投稿です。

今回は『鮎釣りって何?』の段階よりも前の『そもそも鮎って何?』

という解説を、世界で一番噛み砕いてお伝えしようと思います。

鮎とは

名称

アユ(鮎、香魚、年魚、銀口魚、Plecoglossus altivelis)は、キュウリウオ目に分類される、などを回遊する魚である。なお、漢字の「鮎」は、中国ではナマズを指し、アユという意味は日本での国訓である    wikipediaより抜粋

 英語では『Sweet fish』と呼ばれています。

中国や台湾では『ナマズ』になってしまうので注意。香魚(シャンユェ)で通じます。

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特徴

日本人の運命を左右したほどの魚

鮎と日本人との歴史は深く、

時の天皇や将軍が、鮎によって戦の吉兆を占ったという逸話もあり、

鮎は日本人によって『縁起の良い魚』でした。

古くから『献上品』として要人への贈り物となっており、近年でも長良川上流域の鮎は、皇室への現状鮎として納められています。

来年に延期となったオリンピックでも、鮎料理が提供される予定だったそうです。

それほど日本人にとって、古くから関わっていた魚なのです!!

イカの匂い?

鮎はよく『スイカの匂いがする』と言われています。

主食としている『珪藻(けいそう)=コケみたいなもの』の影響だとも言われています。

最盛期の天然鮎は、釣り上げた瞬間にスイカの匂いがするんです。本当ですよ?

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鮎は川魚なのに海にいる…?

鮎は川魚なので、当然川で生まれて川に生息していると思っているでしょう。

しかし、違います。

鮎の赤ちゃんは、なんと海に生息しています。

ある程度成長してから、毎年春先になると河川を遡上(そじょう)するのです。

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鮎の寿命は?

ほとんどの鮎は、一年で一生を終えてしまいます。

こういった魚を『年魚(ねんぎょ)』と呼びます。セミと同じで、夏に頑張って輝く存在なのです。

それを釣ってしまう我々は…

釣った魚は美味しく感謝して頂きましょうね!!

※稀に数年生きる鮎がいます。

 

鮎はどこまでデカくなる?

『巨大生物』『巨大建造物』というフレーズを聞くとワクワクしてしまうのが男の子のサガですが、

鮎にも『巨鮎』と呼ばれるカテゴリーが存在します。

生後間もない頃は6mm程度の鮎ですが、

大きくなると、なんと30cm以上の鮎も存在します。一年でなんと50倍。

アンドレ・ザ・ジャイアントもビックリです。

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鮎は海外にもいる…?

日本のみに生息していると思われている方が多いと思いますが、

台湾、韓国、中国でも生息が確認されています。

特に台湾では、近年競技会のレベルが急激に上がり、日本の大会に出場して優勝する選手が出てきました。

その様子を台湾のテレビで紹介されたりもするんです!

天然と養殖

『海で産まれて、川で育つ』鮎ですが、近年では養殖業も盛んに行われるようになりました。

天然遡上(そじょう)

文字通り、自然界で育った鮎の事を指します。

『天然鮎』と呼ばれるのは、ほとんどがこの鮎です。

ブランドのある天然鮎だと、都市部の料亭では一尾で数千円(!!)もする事もあります。

鮎釣りを始めれば、あっという間に食べ放題なのになぁ…

養殖鮎

コチラは養殖業者が卵や稚魚を採集して、専用の養殖池などで育てています。

放流の時期になると、各河川の漁業協同組合からオーダーを受け、稚魚を放流します。

他にもスーパー等で並ぶ食用としても育てられています。

ちなみに採集した場所によって、下記のような種類があります。

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 天然と養殖の価値観ですが、

確かに天然鮎のほうが一般的な価値は高いですが、養殖は天然に比べて脂が多く、調理方法によっては養殖鮎のほうが適している食べ方もあります。

一概に天然>>養殖というワケではないのです。

 

まとめ

いかがでしたか?

鮎って実は凄い魚なんですよ。

 

さて、次はいよいよ…

 

『凄いし美味しいの分かったけど、どうやって鮎釣るのよ!』

 

を解説します。

めちゃくちゃ簡単ですよ。ビックリします。