中高生鮎友釣り選手権台湾選手バックストーリー#02 『トラウマを乗り越えて』
偶然の出逢いから1人目の選手が決まった、今年の中高生鮎鮎友釣り選手権。
前回記事はこちら↓
勢いで林くんを選手に決めてしまったものの、当初面談を予定していた学生をどうするか。選手の枠は1枠。
「少し話してみて、よっぽど良い学生じゃなければ、適当な理由で断ろう。」
そんな『くだらない大人論』が頭をよぎった僕の前に現れた学生。それが2人目の選手でした。
さわやかスポーツ少年エディ君
彼の名前は『何奕德』選手。愛称はエディ君。
ホテルのロビーではじめて見た彼の印象は『爽やかな青年』でした。
スポーツマンとして多方面で活躍している彼。釣りも大好きで、休日はよく釣りを楽しむとのこと。
この日は彼のご両親も同席しており、郡上鮎の会の説明なども含めて、選手権の概要を説明しました。
真剣に話を聞く姿勢や、丁寧な話し方のエディ君は、多くを語らずとも心の清い若者だとわかりました。
また、彼のお父さんが非常に面白い方で、何か気になることがあると「健さん!」と手を挙げて質問をしてくださいました。
僕よりも年は上で、身なりをみても明らかに『エリートビジネスマン』の雰囲気を醸し出しているお父さんですが、こうして僕のような人間からも何かを得ようとする貪欲さや好奇心、心の余裕があるから、それだけの地位にいらっしゃるのだと思います。自分も見習いたい姿勢ですし、忘れてはいけないことだと感じました。
「息子が鮎釣りをやるに際して、知り合いに道具について聞いたところ、最低でも20万の竿じゃないと釣りにならないと聞きました。本当ですか?」
そうお父さんが質問をしたので、僕はライトスタイルのことや、フリースタイル鮎、1.8mの竿の話などをしました。
お父さんは「もう何がなんだか分からない…」と呆然。少し刺激的すぎたかもしれません。
そんな談笑を交えながら、日本や台湾での釣り文化などについても交流を深めました。
困りました。非常に困りました。
こんなに素敵な若者とご家族だとは、想像していませんでした。さて、どうしたものか。
そんな時、お父さんから思ってもみなかった言葉が出てきました。
大きなトラウマ
「実はうちの息子は、魚釣りが大好きではあるんですが、生きた魚を触ることが出来ないんです。」
本人も「むかし、魚についてトラウマができてしまって以来、死んだ魚もちゃんと触ることができません。」とのこと。
「鮎の友釣りは、生きた鮎をおとりにして釣るんだけど、理解できてる?」
「えっと…うーん、そうなんですね」
困惑するエディ君。
その時の僕は、彼を選手として招待した時のことを考えていました。
もし、おとり鮎が触れなかったらどうする。
もし、それで彼が土壇場でキャンセルをしたらどうする。
もし、もし、もし。色々なもしが出てきました。
しかしふと、1人目の林くんと彼が並んだ時の映像が浮かんできました。
とても『面白そう』でした。この2人が出逢ったら、どんな風になるんだろう。
どんなやり取りをするだろう。興味が湧きました。純粋に見てみたい。
ひとしきり話しが終わり、いよいよ本題の選手としてどうするか。僕は彼にこう話を切り出しました。
「エディ君、“やりたいか、やりたくないか”それだけ教えてほしい。魚のトラウマはこの際あとにして、まずは純粋に選んでほしい。」
彼は「やってみたい」と答えました。
「じゃあ、やろうか。」
こうして2人目の選手が決定となりました。
会食を終えてホテルに戻ると、彼のお父さんからこんなメッセージが届きました。
「今日はありがとうございました。エディは家に帰ったあと、何もいわずに部屋に入っていきました。彼の中で、何かが変わろうとしているのを感じます。今回のイベントが彼にとって良い経験になることを願っています。本当にありがとうございます。」
こうしてエディ君は、未経験の鮎釣りだけでなく、自らのトラウマを乗り越えるという2つの壁に立ち向かうことになります。
しかしその壁は、当初僕たちが想定したものよりも遥かに大きな壁だったことを、この時の僕はもちろん、本人も知る由はありませんでした。
超えられない壁と重圧
7月。エディ君に鮎釣りを教えるために、台湾を訪れました。そこには林くんも参加しました。いよいよ本番に向けて、それぞれの戦いがはじまります。
開始早々に、エディ君が自らおとり鮎にタッチしました。その場に居合わせた我々全員が拍手喝采。早々にトラウマを克服しかたにみえました。さすがはスポーツマン。僕はすっかり安心していました。
練習では基礎的な事を教え、日本へ帰国することになりました。
その後も台湾で何度か練習をしていたエディ君。
コーチングを担当していた張さんに、「彼は大丈夫ですか?」と聞いたところ、「まあまあです。」という回答。ひとまず釣りにはなっているのだと、安心していました。
8月3日。いよいよ日本に到着して、現地でルール説明も兼ねたプラクティスを開始。
ここで事件が起きました。
釣りのポイントに到着してから、エディ君が一向に釣りをはじめません。
10分、20分。他の2人は練習を始めています。開始の合図が聞こえなかったか?
心配になって彼の近くへ。そこには、タモに入ったおとり鮎を触わることができず、呆然とする彼の姿がありました。
実はこの日まで、彼が仕掛けを鮎に正しく装着できたのは『2回』だということが判明。その2回は、彼のメンタルが絶好調だった時にできたものでした。
何度も鮎に触れてチャレンジするエディ君ですが、鮎が動く度にトラウマが蘇り、手を離してしまいます。次第に口数が少なり、彼の目からは大粒の涙が絶え間なく溢れていました。
僕は曲がりなりにも約9年近く学生と関わらせてもらい、その中にはいろいろな悩みを抱えた学生もいました。学生だけでなく、多くの人に悩みを相談される機会もあり、感謝されることも少なくありませんでした。
しかし、トラウマを抱えた人をどうすればよいのか、僕にはまったく分かりませんでした。ネットで調べても「確立した対処法はない。ゆっくりと治癒する時間が必要です。」くらいしか出てこない。まして相手は言葉の通じない外国人。しかし、何もしなければ3日後の選手権で彼がどうなるかは、想像する必要はありません。
今の自分に何かできることは。
今の自分に何ができるのか。
覚悟に応える
僕はまず自宅に急いで帰り、家の道具をあさりました。
『魚を触る』ということを回避できればなんとかなるのか。それとも、感触がトラウマを想起させるのか。正解がわかりません。しかし、何もしなければ何も変えられない。
胴締めハナカン仕掛け、軍手、ビニール袋、フィッシュプライヤー、果てはフィッシュグリップ。とにかく可能性のあるものはすべて出しました。
現場に戻りエディ君を川から上げて、まずは落ち着いて話をすることにしました。
「いま家に帰って、色々と道具を持ってきた。これを午後試してみよう。やれることは全部やってみよう。」
彼は涙を流しながら「うん、うん」と頷いていました。
しかし、結局のところ道具はキッカケであって、最後はメンタルの問題だと思っていました。
彼に「今、何を考えてる?」と問いました。
「このまま魚が触れずに当日を迎えて、何も出来ずに終わってしまったら、僕を呼んでくれた健さんに申し訳なくて、どんどん焦ってしまって、頭の中がグチャグチャになって、何も考えられなくなってきて…」
エディ君は泣きながらそう話しました。
僕は彼にこう語りかけました。
「エディ君、もし君がこのまま鮎を触れずに当日を迎えることになっても、俺はエディくんの事を絶対に責めない。呼んだのは俺なんだから、そんなのは全然気にしなくていい。もしココで出来なくても、何年かかっても一緒に出来るまでやろう。失敗したっていいじゃないか。出来るまでやればいいんだよ。」
彼がこの選手権の出場を決心するまでには、たくさんの『覚悟』があったはずです。
未経験の釣り、言葉の通じない海外での真剣勝負。何より自身のトラウマとの戦い。
どれほどの覚悟をもって、彼はこの場所にいるのだろう。彼と同じ年齢だった時、自分に彼と同じことができただろうか。
若者がこれほどの覚悟をしているのに、自分が覚悟をしないでどうするんだと。だから僕も彼に負けないくらいの覚悟をもって、彼と一緒にいるべきだと直感で思った結果、自然と言葉が出てきました。
そんな僕の話を聞きながら、彼の顔つきが少しずつ変わっていくのがわかりました。
そして午後。彼の左手に軍手を装着し、最後の挑戦へ。
はじめは戸惑いながらも、徐々に鮎への抵抗感がなくなっていくエディ君。
そしてついに、一人で仕掛けを装着することができました。完全にトラウマを克服した瞬間でした。僕は思わず涙が出そうになりましたが、平静を装っていました。
のちほど僕の父が「もっとカッコいいのをつけなさい。」と気を利かせて、グローブを持ってきてくれました。
その日、彼は初めて自分の力で鮎を釣り上げました。初めての鮎はとても小さな鮎でしたが、彼にとっても、そして僕にとっても、とてつもなく大きな鮎でした。
グローブの意味
そして選手権当日。
3日前に大粒の涙を流していた少年は、見違えるような自信に満ちた姿でそこにいました。
大会の実況中継がはじまり、大型LEDビジョンに彼の姿が映し出された時、僕は涙が出そうになりました。
あの左手のグローブに、どれだけのストーリーと覚悟があったのか。あの時それを知っていた人は、会場にも視聴者の中にもいません。
結果は残念でしたが、試合の結果よりも大切なものを手に入れたはずです。
明日『納得』して死ねますか?
林くん同様に最終日の夜、エディ君はこう話してくれました。
「あの時、僕が鮎を触れたのはグローブのおかげでもあるけど、何よりも健さんの「この大会で出来なくてもいい。出来なくても大丈夫だから。できるまでやろう。」という言葉が支えになって、鮎を触る勇気が湧いてきました。初めて会った時も「やるか、やらないか」というシンプルな言葉が、僕の背中を後押ししてくれました。本当にありがとうございました。」
歳を重ねるにつれて、色々なしがらみや立場、肩書、建前、あるいは忖度。やらない理由はどんどん増えていきます。
「1人目が決まったから」「予算があるから」「魚が触れないから」
今回の件だって、やらない理由は無限に用意することができます。
しかし、それがどれだけ自分の未来と可能性、まわりの未来と可能性を奪っているのか、人は分かっているようで、まるで分かっていません。いかにもな理由を並べ立て、自分を失敗から遠ざけて一時の安寧に身を投じる。そんな大人が多いんじゃないでしょうか。かつての自分もそうでした。
今だから言えることですが、僕はそれで自分の人生を、3度台無しにしています。自分の中ではある意味で『3回死んだ』と思っています。とてつもない後悔です。きっと、死ぬまで消えることはありません。それはみなさんにも、いずれ必ず訪れる瞬間です。それが本当に死ぬ間際なのか、それとも僕と同じように人生の途中なのか。それはわかりません。
僕はもう二度と可能な限り自分を裏切ったり、見殺しにしたくありません。自分が死ぬまでに、どこまでこの後悔を薄めることができるのか。それが僕の人生の課題なのかもしれません。
僕の覚悟が誰かの力になってそれがずっと続いていけば、僕がこれから生きていく、そして死んだときに残せる証になるんじゃないかと思っています。
昨今、僕は『失敗できない若者』を多く見てきました。あまりに失敗を恐れ、上辺だけの美辞麗句を並べ立てるテクニックが上達しています。それは若者だけでなく、私たち先人たちにも言えることです。
私たちがこれからを生きる若者に伝えることは、小手先のテクニックではなく、心の部分だと思っています。
『電気屋の店長』の通り名を冠した林くん同様に、エディ君にも通り名ができました。
エディ君はプラクティスの時も選手権の当日も、電話で誰かと長電話をしていることがありました。不思議に思っていた僕たち。思いもよらない事実が明らかとなりました。
実は彼、同級生などの相談を請け負っている相談役で、かなり多くの相談を受け持っているそうで、相談を受けるには予約が必要なほど。内容は恋愛相談や人生相談など、多岐にわたる話を聞いているそうです。
そして彼についた称号は『老師(台湾で先生の意味)』
そんな老師に予約なしで数日間一緒にいられた僕たちは、とても贅沢な時間だったに違いありませんね。
最終回の#03は『大人の都合』です。